福岡都市圏とは 構成市町

1:昭和30年代

福岡都市圏の広域的なまとまりの沿革は、昭和34年1月に当時の1市14町(福岡市、和白町、志賀町、春日町、大野町、宇美町、志免町、須恵町、篠栗町、粕屋町、久山町、新宮町、古賀町、福間町、津屋崎町)で工業開発促進を主たる目的に設立された「福岡地区経済ブロック会議」に端を発しています。 丁度30年代なかばの日本経済が高度成長期にさしかかり、一方で九州経済エネルギー源転換期にあたり相対的停滞期にさしかかっていた時期でした。

その後、福岡地区経済ブロック会議は構成団体を増やしつつ(昭和36年に筑紫野町と太宰府町が加入、昭和37年には前原町が加入し、1市16町となりました。なお、昭和35年に和白町が福岡市に編入合併)昭和39年4月には「福岡ブロック市町村連絡会議」と改称し、その目的に産業振興のみでなく広く行政面の協力を行うことを附加しました。当時は、全国で工業整備特別地域、新産業都市の建設など地域開発の盛んな時期で、道路、港湾等の交通や通信網を中心に産業基盤投資が進められ、また、福岡都市圏の人口急増が始まった時期でもありました。

2:昭和40年代

福岡ブロック市町村連絡会議は、昭和41年9月に「福岡地区市町村連絡会議」と改称され、昭和42年4月には、那珂川町、早良町、玄海町、宗像町、志摩町、二丈町が加入し、大島村を除いて、現在の構成市町村がすべて加入することとなり(なお、昭和46年に志賀町が昭和50年に早良町が福岡市に編入合併)、福岡地区の総合的、有機的開発振興を図ることを課題としました。この時期には、都市圏郡部においては、清掃、衛生、消防等の一部事務組合がかなり成立しています。これは経済成長あるいは人口急増に伴い行政需要が増大したことにより、行財政の効率化、広域化の必要性が高まった結果といえます。

昭和48年4月、福岡地区市町村連絡会議を「福岡地区広域行政推進会議」と改め、広域行政の積極的推進を図ることとなりましたが、これと時を同じくして、地方大都市圏の振興整備方策を広域行政の観点から検討すべく、福岡県と関係29市町村により構成する「福岡県地方大都市圏調査研究会」が結成されました。

昭和49年3月、同研究会は調査研究結果として「福岡県地方大都市圏振興整備の方策についての試案」を発表。その中で、地方都市圏の振興整備を図る際には、大規模かつ高度な事業を地方大都市圏で整備しながら、同時に身近な生活環境施設の整備を地域都市圏で行うという二階層方式で考えることが必要であるとし、福岡都市圏については、福岡市及びその周辺22市町村で構成する福岡地方大都市圏とその副次的日常生活圏(4地域)の設定と広域的行政機構の設置、都市圏整備計画の策定等を具体的に提唱しました。

3:昭和50年代

昭和51年11月に福岡地区広域行政推進会議は、福岡県地方大都市圏調査研究会の提言を受けて、「福岡都市圏構想推進会議」へと発展、改称し、大島村を加えて22市町村(現在の9市8町)となり、都市圏構想計画の策定を推進しました。 これと併行して、当時の広域市町村圏や3大都市圏のいずれにも属していない大都市周辺地域の広域行政に対する国の施策の確立に向けて働きかけを行いました。

昭和52年8月国が策定した「大都市周辺地域振興整備措置要綱」を踏まえ、昭和52年10月、同要綱に基づき福岡県知事から「福岡大都市周辺地域広域行政圏」の設定を受け、昭和53年1月に地方自治法第252条の2の2第1項に基づく普通地方公共団体の協議会として、構成22市町村(現在の9市8町)で「福岡都市圏広域行政推進協議会」を設置しました。

4:現在

近年の市町村合併の進展に伴う広域行政圏内の市町村数の減少や、広域行政機構を有しない圏域が広がるなど、広域行政圏を取り巻く状況が大きく変化したことを背景に、都道府県知事が圏域を設定し、行政機能の分担等を推進してきた広域行政圏施策は、平成21年3月31日をもって廃止され、今後の広域連携については関係市町村が自主的な協議に基づき取り組むこととなりました。(平成20年12月26日、総行市第234号、各都道府県広域行政圏担当部長、各政令指定都市広域行政圏担当局長あて総務省自治行政局市町村課長通知)

これを受けて、福岡都市圏は、長年にわたり広域行政に取り組んできた歴史を踏まえ、引き続き水問題をはじめとするさまざまな共通課題の解決のため、今後も19市町で連携し、福岡都市圏広域行政推進協議会を核に広域行政の推進を図っていくこととしました。